「ケンくん、あのね、ちょっと話そ」靖子は立ち止まってケンの手を引く。
「え、あ、ああ。そうだよね。先走り過ぎたよね。怖いよな」ケンも少し我に返り、靖子の方を振り向く。
「どうぞどうぞ、ゆっくり話し合った方がいいですよ」男は初夏の陽射しを避けるように、ビルのエントランスの日陰に入ると壁に寄りかかって文庫本を読み始めた。気づけば、ビルのエントランスへのアプローチは途中で曲がっていて通りからは死角になっていて、目立たずに出入りが出来るのかもしれないと思った。
「俺が行きたいばっかり言って悪かったよ。俺は決してほかの女性の裸が見たいとか、ほかの女性を軟派したいとかそういうのじゃないんだよ。靖子を自慢したい、靖子をじろじろ見られたい。なんなら、見ながらオナニーしてもらいたい、そんなことを考えてるだけなんだ」
ケンは、鼻息を荒くして早口にまくし立てる。
「う、うん。ケンくんの気持ちは分かってるよ。私が心配してるのはそこじゃないの」
「そうなんだ?じゃあ、何を心配してるの?」
「ううん・・・ちょっと分からないんだけど。なんかもう戻れないっていうか、何もかもが変わってしまいそうで・・・」
「え、それって、Hとか変態、とかそういうのになっちゃうってこと?」
またケンが鼻息を荒くしてしまう。
「うーん、そういうことなのかな〜?ちょっと私もわからないけど。私が変態になっちゃうかも、っていう心配なのかなあ。」
「大丈夫、大丈夫。靖子がHで変態になっちゃうなんて大歓迎だよ。元々H好きだし、俺は全然そんな靖子が大好きだよ」
「もうっ」
靖子は夫のノリの軽さに呆れたが「一方で考えすぎかも」とも思った。たかが変態バーへの見学である。ちょっとした前戯のようなものだ。これまでも、決して真面目な女できた訳でもない。火遊びの一度や二度、経験している。女の絶頂だって、ケンともそれ以外とも味わっている。
気持ちが軽くなると、今度はムラムラとしてきた。元々今日セックスすることは楽しみにしてきて体調も整えてきていた。変態バーを見学したあと、ラブホテルに行って夫のケンとセックスする予定になっている。
「覚悟は決めましたか?」男が柱の影から声をかける。日陰の陰影で顔は良く見えない。
「はい!連れてってください」
「私も、一応覚悟は決めました」
夫婦はビルのエントランスに入る、日陰に入って目が慣れると、靖子は男とはじめて目が合った。優しい目で男は微笑んだ。靖子の瞳の奥まですーっと染みこんでくるような視線「僕は関根です」男は名乗ったが、靖子の耳には聞こえていなかった。